松虫寺

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概要

正式名称・別称 松虫寺
住所 千葉県印旛郡印旛村松虫7
印旛日本医大駅下車徒歩10分
建築年 745年

松虫寺(まつむしでら)は、千葉県印旛郡印旛村にある真言宗豊山派の寺院。山号は摩尼珠山。院号は医王院。本尊は七仏薬師瑠璃光如来。建立は天平17年(745年)といわれる。

言い伝えによれば、聖武天皇の第三皇女が病にかかってこの地を訪れ、その没後行基が開山となって創建したという。

重要文化財(国指定)

木造薬師如来像7躯(坐像1、立像6) – 中尊(坐像)は像高54.3cm、両脇に3体ずつ立つ立像は像高38 – 39cm。七仏薬師像の稀有な作例である。平安時代末期。

県指定有形文化財

鋳銅孔雀文磬

(印旛日本医大駅には、不破内親王の別名でもあった「松虫姫」という名の副駅名が付けられている)

駐車場は寺入り口前にあります。枠線がないので戸惑いますが、かなり広く普通車10台は停められるでしょうか。

以前よりだいぶ整備されて案内版・石碑も新設されてます。

神門をくぐります。ん!妙な穴発見

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=-GWQ2CRLG1U[/youtube]

参道は古い石畳のまま。地面にはコケがびっしり。

不謹慎ですが鐘の中覗いてみます・・当然ながらなにもありません。

本堂です。

支柱や外壁に古さを感じます。大きな補修はされて無いようで、無理に手を入れずこのまま年輪を重ねてほしいです。

松虫寺松虫寺松虫寺松虫寺松虫寺松虫寺

縁束(えんづか)を支えているのがただの石。固定もされず微妙にずれています。

物理的に大丈夫なんでしょうか??

松虫寺松虫寺

境内を散策します。

松虫寺松虫寺松虫寺松虫寺

↑竹林に癒されます。

松虫寺

風格のある樹木が寺とたたずんでいます。

すごい年輪。

松虫寺

←絵馬です。

結構切実なお願いが書かれています・・

松虫寺松虫寺松虫寺史跡案内板をじっくり読むのも一興。

松虫直売所。残念ながら営業してませんでした。

松虫寺松虫寺

印旛村有名史跡、松虫寺。時が止まったかのような錯覚を覚えました。

成田に遊びにいくつでにぜひお立ち寄りください。

(ちなみに松虫寺をさらに進むと成田に行く裏道に出られます。)

おまけ

松虫寺

寺なだけに虫。

カマキリも悠然と歩いてます。

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新京成はなぜ漢数字の駅が多いのか

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Q 新京成は漢数字がついた駅名が多いのですが、これには意味があるのでしょうか。

A 開拓した順番で地名が付けられたそうです。

千葉ニュータウンの話題とはちょっと外れますが、
新京成電鉄には漢数字が付いた駅名が多いです。二和向台駅、三咲駅、五香駅など。

調べてみると明治時代、その数字順に開拓がされたそうで地名はその名残とのことです。

分布は広範囲にわたり、成田や香取まで及びます。

 

以下WIKI解説

明治新政府の手により「小金牧」(千葉県北東部)に開墾が行われ、開墾地には開墾順序に合わせて地名が付与された。
① 初富は1番目。
② 二和(船橋市)、
③ 三咲(船橋市)、
④ 豊四季(柏市)、(この豊四季は違うという説もあります)
⑤ 五香(松戸市)、
⑥ 六実(松戸市)、
⑦ 七栄 (富里市)、
⑧ 八街(八街市)、
⑨ 九美上(香取市)、
⑩ 十倉(富里市)、
⑪ 十余一(白井市)、
⑫ 十余二(柏市)、
⑬ 十余三(成田市、多古町)
の順に続く。
駅名では二和向台駅、三咲駅(新京成電鉄)、豊四季駅(東武鉄道野田線)、五香駅(新京成電鉄)、六実駅(東武野田線)、八街駅(JR東日本総武本線)がある。

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白井市と印西市 合併中止の訳


Q 白井市と印西市の合併話しは、なぜ中止になったのでしょう。

A 白井市民が反対したためです。

2004年、印西市・白井市・本埜村・印旛村の2市2村の合併話が審議されました。

ですが白井市だけ住民の同意が得られず住民投票が行われ、あえなく否決されました。

理由としては

当時の印西・本埜・印旛の財政不安

都内勤務者が多い「千葉都民」意識

が挙げられます。
白井は古い街なので住民の幅が広くいろんな意見やシガラミがありそうです。

以下wikiより

北総市

千葉県印西市、白井市、印旛郡本埜村、印旛村の2市2村の市町村合併によって誕生する予定だった市の名称。

地理

印西市、白井市、印旛郡本埜村、印旛村は全てが印旛郡市に属し、北総鉄道北総線沿線に位置している。また、2市2村は千葉ニュータウン地域に含まれる。東側は同じく印旛郡市である成田市、西側は旧東葛飾郡である鎌ケ谷市、我孫子市、柏市、南側は旧千葉郡である船橋市豊富地域、八千代市、北側は印旛郡栄町、茨城県北相馬郡利根町となる。

市内には利根川が流れ、印旛沼があるほか、印旛沼水系の長門川・将監川などの河川、手賀沼水系の下手賀沼や手賀川、亀成川などがある。2市2村の総面積は159,21km2である。

沿革

白井市は沼南町(現柏市)、鎌ケ谷市といった東葛地域、船橋市といった葛南地域(東葛地域を2分割した場合の湾岸地区の名称)と接しており、東京都方面との関わりも深い一方で、昔から印旛地域内での関わりも深く、特に市の西部と東部の間で意見が食い違うこともあった。また印西市も西部は我孫子市や旧沼南町、北部は茨城県北相馬郡利根町と接し、東葛地域や茨城県、東京都などとも一定の関係がある。特に我孫子市とは東日本旅客鉄道(JR東日本)成田線や国道356号で繋がり、関わりが深い。

2003年4月1日、「印西市・白井市・印旛村・本埜村合併協議会」が設置され、2市2村での合併が公式に提案された。その際、その新名称として2市2村で公募が行われ、539の名称候補が集まった。その後協議会により投票が行われ、そこで得票数が最多だった北総市が、2004年4月14日の合併協議会において新市の名称(予定)として決定された。

しかしその後、7月11日に白井市で行われた住民投票で、賛成が6,762、反対が19,245と、反対多数となった。これにより合併は白紙となり、同年8月31日、合併協議会は廃止された。

その後

白井市が離脱して廃止された合併だが、その後残る1市2村は話し合いを続け、2008年10月24日、「印西市・印旛村・本埜村合併問題懇談会」が設立。そして2009年1月9日には「印西市・印旛村・本埜村合併協議会」が設置され、合併の期日は2010年3月23日とし、新市の名称は「印西市」の予定である。また、白井市は当面単独市政を行うことを明言したことによって、「北総市」は過去の幻の市の名称となった。

意義

この合併が白紙化された背景には、白井市が印旛地域の中で最も都心に近いこと(都心より25km程度)、東葛地域や東京都と結びつきが深いことがある。白井市での住民投票により、印旛郡地域での合併を求める古くからの住民と、より東京に近い鎌ケ谷市などとの合併を求めるいわゆる「千葉都民」との考え方の違いが明らかとなった。

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