宝珠院観音堂 光堂

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概要

正式名称・別称 国指定重要文化財「宝珠院観音堂(光堂)」
住所 〒270-1358
千葉県印西市小倉1138

宝珠院観音堂は、昭和28年(1953年)から昭和29年(1954年)の解体修理によって、厨子内に永禄6年(1563年)の墨書銘が発見され、厨子の製作時期が判明しました。観音堂の建立も構造的特徴から、ほぼ同時期と推定されます。閑静で長い石段の境内にあり、正面三間、側面三間の茅葺きの屋根が建物の中心から下がる形態の寄棟造の堂です。内部は後部二間が内陣(仏を祀った最も奥の一画)前部一間が外陣という構造になっています。

境内までの道のり

まず光堂の場所が分かりづらいので探しましょう。


入り口の目印は小さい石碑のみです。申し訳なさ程度に「国宝光堂入り口」と案内がありました。路上駐車もできない狭い路地です。駐車場もないので自転車で行くのがベストでしょうか。

幅1Mもない未舗装の砂利道を進んでゆきます。進むにつれ狭くなり心細くなります。

ほんとにこんなところに国宝があるのかと一抹の不安・・・

昆虫たちの攻撃に耐えながら進みます。気分は、まさにインディジョーンズ。

やっと境内が見えてきました。

境内

境内は参道と一転して開けています、森に囲まれた幻想的な雰囲気です。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=iF2hx9G5wMk[/youtube]

境内中央に鎮座する本堂は、その威厳ある風格から何百年もの歴史を感じます。


本堂を囲む木々たちもコケがびっしりと覆い、年月を感じさせます。大きな「観音杉」は本堂と同じくらいの存在感があります。

そのほかにも境内にはいろいろな石碑・仏像があり、時間を忘れます。

「光堂の雪景」は印西八景にも選ばれているそうです。

(印西八景:小林牧場の櫻花・木下公園の貝層・利根川の朝霧・結縁寺の彼岸花・大六天の手賀沼・長楽寺の晩鐘・こすもす大橋の夕映)

おまけ

もぐら穴です。

今の子供たちは知らないだろうな。

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松虫寺

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概要

正式名称・別称 松虫寺
住所 千葉県印旛郡印旛村松虫7
印旛日本医大駅下車徒歩10分
建築年 745年

松虫寺(まつむしでら)は、千葉県印旛郡印旛村にある真言宗豊山派の寺院。山号は摩尼珠山。院号は医王院。本尊は七仏薬師瑠璃光如来。建立は天平17年(745年)といわれる。

言い伝えによれば、聖武天皇の第三皇女が病にかかってこの地を訪れ、その没後行基が開山となって創建したという。

重要文化財(国指定)

木造薬師如来像7躯(坐像1、立像6) – 中尊(坐像)は像高54.3cm、両脇に3体ずつ立つ立像は像高38 – 39cm。七仏薬師像の稀有な作例である。平安時代末期。

県指定有形文化財

鋳銅孔雀文磬

(印旛日本医大駅には、不破内親王の別名でもあった「松虫姫」という名の副駅名が付けられている)

駐車場は寺入り口前にあります。枠線がないので戸惑いますが、かなり広く普通車10台は停められるでしょうか。

以前よりだいぶ整備されて案内版・石碑も新設されてます。

神門をくぐります。ん!妙な穴発見

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=-GWQ2CRLG1U[/youtube]

参道は古い石畳のまま。地面にはコケがびっしり。

不謹慎ですが鐘の中覗いてみます・・当然ながらなにもありません。

本堂です。

支柱や外壁に古さを感じます。大きな補修はされて無いようで、無理に手を入れずこのまま年輪を重ねてほしいです。

松虫寺松虫寺松虫寺松虫寺松虫寺松虫寺

縁束(えんづか)を支えているのがただの石。固定もされず微妙にずれています。

物理的に大丈夫なんでしょうか??

松虫寺松虫寺

境内を散策します。

松虫寺松虫寺松虫寺松虫寺

↑竹林に癒されます。

松虫寺

風格のある樹木が寺とたたずんでいます。

すごい年輪。

松虫寺

←絵馬です。

結構切実なお願いが書かれています・・

松虫寺松虫寺松虫寺史跡案内板をじっくり読むのも一興。

松虫直売所。残念ながら営業してませんでした。

松虫寺松虫寺

印旛村有名史跡、松虫寺。時が止まったかのような錯覚を覚えました。

成田に遊びにいくつでにぜひお立ち寄りください。

(ちなみに松虫寺をさらに進むと成田に行く裏道に出られます。)

おまけ

松虫寺

寺なだけに虫。

カマキリも悠然と歩いてます。

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新京成はなぜ漢数字の駅が多いのか

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Q 新京成は漢数字がついた駅名が多いのですが、これには意味があるのでしょうか。

A 開拓した順番で地名が付けられたそうです。

千葉ニュータウンの話題とはちょっと外れますが、
新京成電鉄には漢数字が付いた駅名が多いです。二和向台駅、三咲駅、五香駅など。

調べてみると明治時代、その数字順に開拓がされたそうで地名はその名残とのことです。

分布は広範囲にわたり、成田や香取まで及びます。

 

以下WIKI解説

明治新政府の手により「小金牧」(千葉県北東部)に開墾が行われ、開墾地には開墾順序に合わせて地名が付与された。
① 初富は1番目。
② 二和(船橋市)、
③ 三咲(船橋市)、
④ 豊四季(柏市)、(この豊四季は違うという説もあります)
⑤ 五香(松戸市)、
⑥ 六実(松戸市)、
⑦ 七栄 (富里市)、
⑧ 八街(八街市)、
⑨ 九美上(香取市)、
⑩ 十倉(富里市)、
⑪ 十余一(白井市)、
⑫ 十余二(柏市)、
⑬ 十余三(成田市、多古町)
の順に続く。
駅名では二和向台駅、三咲駅(新京成電鉄)、豊四季駅(東武鉄道野田線)、五香駅(新京成電鉄)、六実駅(東武野田線)、八街駅(JR東日本総武本線)がある。

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